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人事・労務の知識

「労働時間規制を撤廃する新しい労働時間制度について」の問題点~中小企業の視点と実務上のニーズからの検討~

1. はじめに

 現在の労働時間に関する法律は、残業手当や休日出勤手当など、労働時間の長さで賃金額が決まるという制度です。
 労働者の効率が良かろうと、悪かろうと、その労働時間の長さで賃金額が変動する制度です。
 政府の産業競争力会議で、「労働時間規制を撤廃する新しい労働時間制度」、いわゆる「労働時間にとらわれない働き方」が議論されました。残業手当や休日出勤手当など、労働時間の長さで賃金額が変動する現行の労働時間制度に、例外を設けようと提言がされ、内閣もそれを目指して検討していくこととなりました。
 「労働時間にとらわれない働き方」が産業競争力の向上に役立つのか。今回はこの事を検討していきたいと思います。

2. 裁量労働時間制の問題点

(1)効率と労働時間
「成果」を出すためにどれくらい時間がかかるのか。
効率良く仕事をすれば短くなり、悪ければ長くなります。労働時間の長さで賃金額が変動するのであれば、効率良く働いた労働者の賃金額は安くなり、効率が悪い働き方をしている労働者の賃金は高くなってしまいます。
 これでは「能力」が高い労働者の賃金が安くなってしまうという弊害があります。最低賃金が上昇し、スタートラインの賃金額が高くなってしまった現在、所定労働時間の労働に対する賃金額、いわゆる基本給などの固定部分を高く設置することが難しくなってしまいました。高く設定すると残業代を支払った場合、予算オーバーになってしまうからです。
 この問題を解決するために「労働時間の長さにとらわれず働くことが出来ないのか」という議論は以前から行われてきました。単純労働や事業場内での労働など「労働時間管理のしやすい業務」についても、この「効率」と「賃金額」の矛盾の問題が生じています。
 しかし、今回の提言ではこのような「単純労働」や「専門性の低い業務」といった分野は、新制度の対象とはならないと議論されています。そうなると生産性を上げるための労働者への教育という点のみで解決するしかありません。

(2)効率という物差しで測れない業務
 一般的に言われていることでありますが、「効率」だけでは解決できない問題もあります。
例えば「文章を書く」という作業は、時間を上手く使って文章を書く時間をつくるという意味での効率は大事ですが、良い文章は効率の追求だけではできません。「ふと」思い浮かぶものなのです。
「ふと」浮かぶタイミングは会社にいる時とは限りません。
 このように労働時間の長さで賃金額を決める制度がなじまない職種もあります。研究職や企画に関わる業務等です。現行の法制度でも、「企画型裁量労働制」や「専門型裁量労働制」という制度があります。しかし非常に使いにくい制度なのです。どこが使いにくいのでしょうか。以下で検討したいと思います。

(3)裁量労働制の問題点
「働く」ということは一人ではできません。
例えば、自然科学の分野では研究職が研究を行い、それをサポートする職員もいます。
実験の材料を準備したり、単純な作業をしたりすることにより実験を支える職員です。研究職は裁量労働制の対象となりますが、それをサポートする職員は対象となりません。裁量労働制の対象者である研究職と、実働労働時間で賃金を決定するサポート職員が職場で混在することとなり、長期間の実験等で研究職と行動を共にするサポート職員の賃金額は労働時間の長さで決まるのです。
 これでは裁量労働制を導入する意味がありません。サポートする職員は拘束時間が長くなりますから、時間外労働抑制のために、サポート職員が十分に研究の支援を行えないという事態もあるのです。このため、研究職も時間に基づいて賃金額を決定した方が管理しやすいとして、研究職についても裁量労働制の対象とせずに、フレックスタイム制の対象として労働時間を管理している企業が多いのです。
 労働時間の長さで賃金を支払う制度の対象外となる労働者は、一般の労働者と共同作業が行いにくいということが一番の問題点なのです。

3. 「労働時間の長さにとらわれない働き方」

 労働時間の長さにとらわれずに賃金額を決定する働き方を政府は導入しようとしているのですが、この対象者については検討段階です。年収1000万円以上の高い技能を持った者であるとか、年収数千万円の世界レベルの高度な専門職など色々と議論をされています。
 中小企業で年収1000万円以上の方は概ね役員やそれに準ずる役職に就いていることが多く、そもそも労働時間にとらわれない働き方をしているケースがほとんどです。新制度の恩恵を受ける対象者は極めて少ないと考えられます。新制度の対象範囲をどのようにしても、前で述べた「労働時間の長さで賃金を支払う制度の対象外となる労働者は、一般の労働者と共同で作業がしにくいということ」が解決されない限り、新しい制度を導入しても使いにくいのです。
 仮に年収1000万円の労働者が、新制度の対象者になったとしても、それ未満の労働者と協同して働くわけです。上司や先輩が新制度の対象者であっても、一緒に働く他の労働者が現行の制度では一緒に働きづらいのです。
 一人だけ「労働時間の長さにとらわれない働き方」をしたところで、他の労働者と一緒に働くわけですから、新制度の対象者が自己の裁量でマイペースに働くわけにはいきません。
 労働時間の長さで働く労働者を管理し、自らの業務もそこに合わせていかなければ仕事はできません。裁量労働制や検討されている新制度が機能するための条件では、一人で仕事が出来る自己完結型の働き方が該当する労働者だけで仕事を行うことになります。
 ですから検討されている新制度が、問題を解決する画期的な制度であるとは考えることができません。

4. そもそも産業競争力の向上につながるのか

 雇用分野の規制緩和でどうして労働時間法制が選ばれたのか良く理解できません。本当に必要なのかという視点よりも、声が大きい要望がとりあげられやすいということなのでしょう。労働時間という枠組みを無くすことで、どう産業力の向上につながっていくのか理解できません。難しい制度を考えるのではなく、定額残業制度の運用を緩和するだけで十分に目的が達成できます。
 定額残業制度は、実労働時間で賃金を決める制度ですから、異なる労働時間制度の労働者が混在するという事もありません。最低賃金が高すぎるという問題を合わせて解決していくことで、難しい制度ではなく、現行の枠組みの中で十分解決できると考えます。

5. まとめ

「労働時間規制を撤廃する新しい労働時間制度」については、経営者側の社会保険労務士として反対であるというのが結論です。中小企業にはメリットが感じられません。産業競争力の向上という視点で考えても、なぜここなのかが理解できません。
 結論ありきの議論ではなく、なぜ「新制度が産業競争力につながるのか」を明確にする議論がなされなければ、「本当に産業競争力を向上させるための制度」が議論されないまま終わってしまいます。
 皆様に対する問題提起とさせて頂きたいと思い、今回のテーマと致しました。

「初出:週刊帝国ニュース東京多摩版 知っておきたい人事の知識 第54回 No.906 2014.6.24号」

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